M女コラムライター・小林ワカメのプロフィール
投稿日:2019年8月20日 更新日:
初めてのオナニーは小学3年生でした。私、小林ワカメといいます。
好きな食べ物はキュウリ、ニンジン、時々ゴーヤ。毎朝コップ一杯の濃いめのカルピスを飲むのが日課の30代、生粋のM女でございます。
私が初めてSMに触れたのは19歳の夏。
当時、爆発的に流行っていた出会い系サイト「スタービーチ」はご存じでしょうか?20代の方々は「何それ?」と首をかしげるかもしれませんが、私と同世代の30代、40代の方々ならきっと「懐かしい!」となるはずです。
私はそこで20歳ほど年上の男性と出会い、交際を始めました。
何度目かのデートの際に連れて行かれた公園。そこで私は目隠し拘束青姦プレイを経験する事となったのです。
馬だったかパンダだったか忘れてしまったけれど、幼児が乗ると前後にゆらゆらと揺れる遊具がありますよね?(←スイング遊具というのだそう)
それに覆い被さるように言われた私は不思議に思いながらも素直に従ってしまいました。(この時点でMの素質アリアリですね・笑)
この時の体勢はお尻を突き出した状態。もちろんそのままパンツを脱がされます。そして目隠しをされ、さらに手首まで後ろに拘束されてしまったのです。
「やだ…」
「なにこれコワイ…」
という感情が芽生えると同時に突き入れられる熱い肉欲の塊。
激しくなるピストンに合わせて遊具は揺れる。
揺れる。
揺れる。
そのたびに子宮が揺さぶられる程の衝撃に、私は今まで出した事のないようなエロい声を上げてしまいました。
「あっ…なんか気持ちイイ…」
恐怖や不安が快感に変わるまでそう時間はかかりませんでした。
実際は胸や脇腹に当たる遊具の金具が痛い、青臭い草いきれの残り香が不快、誰かに見られているかもしれない、こんな心の内もあったのですが、それ以上に気持ちよさが勝っていました。
というか、こういった不安や不快感すら快感のスパイスになったといった方が正しいかもしれません。
でも、実はこの時点で私自身、Mだという自覚はありませんでした。
というのも、当時はまだネットの情報も限られていましたし、今ほどSMという言葉が身近ではなかったので、言葉として聞いた事はあってもこういったプレイがSMの一種だと考えた事もなく、このようなプレイで快感を覚える事をMだという事を認識していなかったのです。
私はM女である。
と、認識したのは、プレイが終わってからの彼の言葉です。
「ワカメちゃんってやっぱりマゾだよね」
こう言われて一瞬頭の中が???となりましたが、私みたいなのをMというのか、と自然と受け入れてしまいました。
確かに普通は痛いし臭いし不安だしの中で気持ちよくなったりはしないよね、と。
その後、この彼とは3ヶ月ほどお付き合いを続けていたのですが、フラれる事となります。理由は彼の想像以上に私がMだったから。
Mだと自覚した私はSMへの好奇心が開花し、様々なプレイに挑戦してみたいという思いに至りました。最初は喜んで付き合ってくれていた彼でしたが、段々と要求が高くなる私について行けないと感じたようです。
彼と別れた事で私の出会い系サイトでのSMパートナー探しは本格化しました。2000年代前半、ちょうどこの頃からSM系の出会いサイトが増えてきた事もあり、S男性との出会いに事欠く事はありません。
一度だけのSMプレイを愉しんだ人、主従関係を結んだ人など、十数年間で様々な形態で関係をもち、多種多様なプレイに興じてきました。時には風俗やSM倶楽部で働くように命じられ貢ぎ奴隷となった事も。
小林ワカメの現在。
現在は特定のパートナーは持たず、SM系マッチングアプリやコミュニティーサイトをはじめとした出会いの場で知り合ったS男性とのSMプレイを謳歌しています。
今回、皆さんにも身近にSMを感じてもらえたらという事で、現在進行形を含め、これまでの経験を体験談としてM女ペディアで公開させていただく事となりました。
陰毛は剃るより抜く派の小林ワカメ、以後お見知りおき下さいませ。
執筆者:小林ワカメ